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【2】【回想】丙午の逆境の始まり?人生最初の挫折

【2】【回想】丙午の逆境の始まり?人生最初の挫折

昨日のブログで、私が「丙午(ひのえうま)生まれ」だとお話ししました。 

迷信のおかげで(?)この年に生まれた女の子は少なく「高校受験に有利」なはずでした。

ところが・・私の現実はちょっと違いました(笑)。


少し遡りますが、小学校2年生の時に父が家を大阪市内に購入したので、堺へ引っ越したんです。

小2でピアノを習い始めた私の将来の夢はすぐに決まりました。「音大に行って、自宅でピアノを教えること」

ピアノそのものよりも、「歌うこと、そして教えることが大好き」でした。

これは子供の頃から今も変わりません。

引っ越した家は一戸建ての広いお家。応接間やお茶室(母が茶道を教えていました)があり小さな池もあるお庭もあって、私も将来はこんな家に住んでピアノが終わったらケーキと紅茶を出してあげるんだ。

そんな夢を持っていた…というより、当然そんな暮らしができると思って疑いもしませんでした。


そんな私の、人生最初の挫折が「高校受験」

担任の先生と受験校の相談をした時、私立はJ高校よりも確実なO高校を勧められました。
私は公立のS高校に行きたかったので、私立は滑り止めであればよかったわけです。
そして、ここからがハプニング発生!
高校に願書をもらいに行く前日、担任の先生から「天野!J高校からOKもらってるんや、そっちに願書もらいに行くんやぞ!」と。。
なぜ、そんな行き違いが起こったのか分かりませんが、直前でJ高校への受験勉強に切り替えることになったんです。
当時は事前に受験予定の私立高校からOKが出ていたらまず合格できる、と言われてたんですよね。
なので、意気揚々と受験に臨んだ私でしたが、結果はまさかの「不合格」
しかも、 学年で私立に落ちた女子は、私一人だけ。。
まさに「ガビ〜〜ン!!」です。
今だから笑えますが、もうそのショックが大きすぎて
自宅まで励ましに来てくれた同級生の前で、人目も憚らずワンワン泣きました。
希望していたS高校に行けない…。

結局、私は自転車で通える地元のB高校へ進むことになりました。

最初は「なんで私だけ?」とそんな気持ちばかり出てきましたが、結果的には良かったんです。

のびのびとした校風、文化祭ではクラス全員でオリジナルのダンスを踊ったり、修学旅行は、種子島屋久島を巡る洋上旅行。
何よりも中学時代に1番仲の良かった友人と毎日自転車通学。学校帰りは友人の家の前でずっと話しているような高校生活でした。

私は大好きな人(達)と一緒にいる時間が昔も今も1番好きです。


それから月日は流れ、40歳の時に中学校の同窓会がありました。

当時の担任の先生も来られてて、ポツリとこう仰ったんです。 

「あの時、受験のことで天野に悪いことしたなって、ずっと思ってたんや……」

先生が、何十年もそのことを胸に抱えてたなんて。。

「え〜〜!!先生、私、結果的にはB高校に行ってめちゃよかったと思ってるんですよ!」

それを聞いた先生のホッとした顔。あ〜、同窓会で再会できて良かった〜。


振り返ると私の人生はまさに凸凹で、失敗と挫折の繰り返しです。
「これでもかこれでもか!」と色々起こります(お楽しみに、笑)

それだけ、私が経験しないとなかなか学ばない鈍臭い人間だからなんですが、今は本当に幸せだなあって思っています。
今が一番幸せ、そう思う毎日です。
失敗も挫折も乗り越えた後には全てネタになり、笑い話になり肥やしになります。いいことしかない^^

そう考えると人生怖いものないやん!って思うんですよね。
まだまだこの後私の失敗人生は続きますが、おつきあいいただけると嬉しいです。
そして、今年は全てを笑いに変えて進んでいこうと誓っています。

それでは、明日もお会いできますように。